赤津のこだわり
50万点以上といわれる、多種多様なねじ部品を取り扱っており、その中でもこれまでのデータにより、約1万点もの厳選された商品を、徹底した在庫管理で、保有している有数の『ねじ専門店』です。
環境経営にいち早く取り組み、有害化学物質の使用を禁止する、RoHS指令に対応したメッキを標準在庫にするなど、時代のニーズにそった商品を取りそろえており、公官庁や法人のお客様にも安心してお使いいただいております。
店舗販売、配達、発送でご注文に対応し、1本からお客様の『今すぐ欲しい』にお応えいたします。
当社工場は大正8年に鍛冶屋より端を発し創業いたしました。
それ以来、時代の移り変わりと技術者のあくなき挑戦と共に、熱間鍛造でのリベット、ボルト製造、曲げ加工をはじめ、戦後復興の時代には瓦の製造に至るまで、ものづくりで社会に貢献してまいりました。現在でもその時代に培った、技術とノウハウは魂とともに引き継がれており、切削、転造技術を核として、大手企業様から個人のお客様まで幅広いご縁をいただいております。
『1本より製作してほしい』『短納期で製作してほしい』に喜んで対応させていただきます。
ごあいさつ
私たちは創業以来、幾度となく困難を乗り越え、時代にそった生産、販売体制を築き上げてきました。
これまでの100年は、そうして柔軟に対応していった先人達の高い志とチャレンジ精神による、変化への挑戦の歴史だったといえます。
これらの経験により、新たな挑戦を続けることが、時代のニーズをいち早く感じ取れる方法であると我々は学んでおります。
我々の主要取扱品であるねじ部品においても、お客様の求めるニーズは多様化しており、当社においてはより一層の仕入販売のネットワークの拡大と、製作品の小口化・短納期化をすすめることで、これからの時代のニーズにそった「ものづくりサービス業」へと経営スタイルを進化させていきます。
「社会へ喜びを作り出す」を経営理念とし、今後とも、お客様のお役にたち、地域社会にとって優良な企業であるよう安定した成長を目指します。
株式会社 赤津工業所
代表取締役社長 赤津浩史
会社概要
商号 | 株式会社 赤津工業所 AKATSU INDUSTRY Co.,LTD |
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所在地 | 茨城県日立市弁天町1丁目3番15号 |
代表電話番号 | 0294-21-6255 |
代表FAX番号 | 0294-21-0555 |
info@neji-akatsu.co.jp | |
創業 | 大正8年4月 |
株式会社設立 | 昭和22年10月 |
代表者 | 赤津 浩史 |
従業員数 | 12人 |
資本金 | 3000万円 |
事業内容 | ネジ製造・販売・機械加工 |
主要取引銀行 | 常陽銀行 筑波銀行 東日本銀行 茨城県信用組合 各日立支店 |
工場所在地 | 茨城県日立市十王町伊師字十王前20-43 |
工場電話番号 | 0294-39-6351 |
工場FAX番号 | 0294-39-6352 |
アクセスマップ
主要取引先
沿革
西暦 | 赤津工業所 | 主な出来事 |
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1919 | 赤津秀松(初代)が赤津鐡工所を創業する | ヴェルサイユ条約調印 |
1945 | アメリカ軍よる日立市への空襲の為、工場及び建屋を焼失 | ポツダム宣言 |
1947 | 社名を株式会社赤津工業所に変更 資本金400万円 |
日本国憲法施行 |
1962 | 茨城県事業所対抗野球大会で優勝 | 首都高速道路開業 |
1975 | 赤津敏男が代表取締役に就任(二代目) | 第1回先進国首脳会議(G6) |
1992 | 資本金を増資800万円とする | バルセロナオリンピック開催 |
1995 | 資本金を増資1000万円とする | 阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件 |
1996 | 赤津秀男が代表取締役に就任(三代目) | 金融ビッグバン |
2000 | 新社屋建築に伴い工場移転 豊浦工場稼働 |
沖縄サミット開催 |
2002 | 新社屋完成
竣工、創業80周年記念式典 |
日韓FIFAワールドカップ |
2005 | 赤津浩史が取締役統括部長に就任 | 郵政民営化 |
2006 | 資本金を増資3000万円とする 工場移転 十王工場稼働 |
ライブドアショック |
2009 | エコステージ(簡易型環境ISO)取得 | オバマ氏、第44代米大統領に就任 |
2010 | 赤津将之が取締役工場長に就任 | 尖閣諸島中国漁船衝突事件 |
2012 | 赤津浩史が常務取締役に就任 | 第2次安倍晋三内閣誕生 アベノミクスが始まる |
2019年1月 | 赤津浩史が代表取締役に就任 赤津将之が常務取締役に就任 赤津秀男が取締役会長に就任 |